二代目竹本泰成

数理姓名学は実父である初代竹本泰成が考案したものです。

初代竹本泰成は昭和50年代に活躍した運命鑑定士でした。その当時、顧客の鑑定を精力的にこなしながら九星気学や四柱推命そして姓名判断などの研究を続けていました。ただこれらの技法には一長一短があり、分析に限界を感じていました。

さまざまな研究を続ける中で、鑑定の壁を超えることができる一つの運命学と出会うことになったのです。これこそが数理姓名学の起源とされるものであり、一つの命式の中に命術と相術を併せ持ち、比類ない的中率を誇りました。

その後、実際の鑑定データを積み上げていき、様々な改良をおこなった結果、ここに数理姓名学が誕生することになりました。

これからする話は今から40年以上も前のことです。ある百貨店での新春占いイベントに、父親が出演した際の出来事です。四人の異なるジャンルの占い師を集めて共演する、という企画がありました。

他の先生たちは四柱推命、九星気学、西洋占星術でした。そして父親は数理姓名学で参加しました。

お互いの鑑定ブースを衝立でしきって客を待っていました。初日こそ客の入りはまばらでしたが、二日目からは父親の数理姓名学のブースだけは順番を待つ客の行列ができたといいます。この時、「これはいける!」と確信した、とのちに語っていました。

その後、多くの顧客の鑑定を行い、現役時代の生涯鑑定人数は10万人に達していました。

私は幼少期から数理姓名学についての英才教育を受けてきていました。40年以上前に遡って、小学生の頃から竹本家の会話は全て数理姓名学をベースに成立していました。食卓の話題が全て数理姓名学の解釈の話です。一風変わった食卓風景だと思いませんか?。

毎日のように、食卓で父親の話を聞き続けました。さらに、独学で父の書いた著書を読みあさるという生活です。私自身、既に小学生の高学年の頃には、数理姓名学の鑑定の基礎となる命式の展開ができるようになっていました。

その後の私は普通に大学に進学し、普通の会社に就職しました。20代の私はまだ数理姓名学の価値を理解していなかったからです。まさか運命鑑定士として後を継ぐことなど考えもしていませんでした。

平成3年4月。日本で一番大きな証券会社野村證券(現:野村ホールディングス)に私は就職しました。最初の仕事は新規開拓の営業でした。しかし、私は正直なところ、営業はやりたくありませんでした。毎日飛び込み営業に明け暮れ、時間ばかりが過ぎていきました。。成果も一向に上がらなかったので、辞めようと考えたことも一度だけではありませんでした。

ところが、ある日妙案を思いつきました。それは、数理姓名学を活用することで、新規開拓ができるんじゃないかと閃いたのです。そのアイデアを実践するために、私は営業に行くフリをして朝から喫茶店に篭り始めました。数理姓名学を駆使して、見込み客の生年月日と名前をひたすら分析しました。そして自分と相性があり、お金持ちそうな人で、投資が好きそうな人だけを抜き出しました。あとはピックアップした先だけ絞って、集中して営業活動を展開するだけです。

すると不思議なことが起き始めました。これまでは全くうだつが上がらず、営業成績も最下位あたりをうろうろしていた私が、簡単に商品を買ってもらえるようになっていったのです。私の営業成績は見違えるようによくなり始めました。 

さらに私は、顧客との相性だけではなく、あらかじめ、自分自身の仕事の運気の好不調の循環を把握するようにしました。実は、運気が好調の時期に集中して仕事をすると成果が上がりやすい、という仮説を立てていました。運気循環を読み、最も好調なタイミングで大きな案件を刈り取るなどを繰り返すことで、ついに私は全国に3000人以上いる営業マンの中でトップの成績を上げることができるようにまで成長したのです。油が乗り切った頃には、社内で営業成績の上位1%に入るまでになりました。

その後、 順調な営業成績を評価されて、私は営業マネージャーに昇格していきました。営業マネージャーとしての仕事は部下を多く抱え、チームとして成果を上げることでした。私はここでも数理姓名学を活用して、部下の管理やマネジメントにも活かすことを考えました。同僚や部下を分析することで、一人一人の得意不得意が理解できるようになりました。結果的に、適材適所の配置が可能になり、それが功を奏して、チームとしてナンバー1になることもできました。

 会社員生活を30年続けてきたことで、私は多くの鑑定サンプルを手に入れました。

社内では定期的に人事異動が行われました。その都度、どんな人が出世をしていくか、あるいは左遷された人の理由などをデータとして集めていったのです。その度分析することで、社会において頭角を表したり出世していく人には一定のパターンがあることを私は発見ました。また、数多くの富裕層のお客様とお付き合いしてきたおかげで、彼らの名前と生年月日を分析することで、お金に縁がある人や富裕層になる人のパターンなども細かく把握することができたのです。

ある時期から、私は数理姓名学の正確さに独自性を感じ始めたのと同時に、この技術を自分一人だけでなく、広く世の中に普及させることで、社会に大きく貢献できるのではないかと考えるようになりました。

またその時期に呼応するように、高齢のために父親が生活に支障をきたすようになってきました。程なく父親は介護付きの高齢者施設に引越しすることになりました。そのタイミングで父親の部屋を整理したところ、多くの手書きのノートが発見されました。中には父親が現役時代に集めた鑑定のデータ集もありました。そのノートを発見した時、今まで父が集めたきたデータや技術などの知見がこのまま日の目を見ないまま眠ってしまうのは勿体無いと私は考えました。さらに、この数理姓名学の知見を正確に理解して正しく扱えるのは世界で自分一人しかいないということに気づきました。このままではまずいと考え、後継者を作ることを真剣に考えないといけないと思うようになりました。

令和元年に私は会社を辞めました。数理姓名学を普及させるため、数理姓名学研究会を設立しました。同時に鑑定と分析に当たるようになり、これまでのトータル鑑定人数は2万人を超えます。

後半の人生で私が成し遂げたいことは、数理姓名学が理解できる人を増やし、ご自身の人生の目的地に向けて、自由に向かって行ける人を増やすことです。このサイトの熱気球のように、どこまでも自由に飛んでいける。そんな人生を目指してほしいという思いでやっています。

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